幸せに条件はいらない


冬至明け、おめでとうございます。

陰が極まり、また陽へと向かうこの節目に、
久しぶりに、言葉を書きたくなりました。

去年、2024年の3月ごろから始まり、
去っていった、内面の台風のような嵐。

否応なく、自分の内面や思い込みと向き合うことになった、
約2年の時間でした。

去年の3月以前の私は、
どんな状況にあっても、ほぼ毎日、眠る前に

「あぁ、なんて幸せなんだろう」

と、理由のない幸せな気持ちに包まれていました。

ご先祖様、両親、家族、友人、
目に見えなくてもサポートしてくれている存在。
そして、私自身。

そんなすべてに感謝しながら、眠りについていました。

この「幸せ」は、
何かがうまくいったから、手に入ったから、というものではなく、
ただ、自然に湧いてくる感覚でした。

「◎◎できたら幸せ」
「素敵なパートナーがいるから幸せ」

そういった、具体的な理由が何もないのに、
ふっと立ち上がってくる幸せ。

他の人から見たら
「全然、幸せそうに見えない」
そんな状況にあったとしても、です。

それが、去年の3月から、
家族の変化をきっかけに、
深く、自分と向き合う時間が始まりました。

そして数日前、
久しぶりに、あの

「あ〜〜、幸せ」

という感覚が、戻ってきたのです。

それが嬉しくて、
こうして、noteを書いています。

もう手放したと思っていたのに、
自分の中に、まだ残っていた思い込み。

「私には価値がない」
「優等生でいないといけない」

そんな声たちに気づいて、
「もうええねん!」と、
感じきって、手放しました。

無いものにフォーカスしていると、
いつまでたっても、
「何かが足りない」「欠けている」
そんな感覚を繰り返してしまう。

でも実際には、
すでに、有り余るほど与えられているものがある。

身近な、ささやかなもの。
この肉体。
いま、ここにあること。

それらに感謝していくと、
自然と、心は満ちていく。

そして何より、
「欠けている」と感じているときと、
「満ちている」と感じているときでは、
自分の体の感覚そのものが、まったく違う。

ちゃんと体感として知っていたのに、
周りの変化に飲まれて、
いつの間にか、揉まれていました。

冬至が明け、
幸せの感覚が帰ってきたいま、
ほっとしています。

幸せは、
「なるもの」ではなく、
「気づくもの」。

幸せであるということ。

その選択を、
いま、この瞬間に、
すればいいだけ。

皆さまが、
幸せでありますように。

2025/12/22